さしこ推し

なんでも熱心なカフェ

目の前が見えない

ときどき、 「自分は死は恐くないので、 いつもと同じ生活をする」 という人があります。 本当に死ぬのが恐くないのでしょうか? ▼それなら、 原発反対や、 野菜の放射能汚染の心配をするのはなぜでしょうか? 放射能が死につながるからではないでしょうか。 もし放射能が健康にいいとすれば、 原発も放射能野菜も歓迎のはずです。 ▼また、人間ドックを受けたら肝臓に腫瘍がうつり、 精密検査になったら不安にならないでしょうか? それは、もし癌ならすごいスピードで増殖して、 全身に転移し、もうすぐ死ぬかもしれないからです。 その精密検査の結果、良性なら安心するのではないでしょうか。 さらに、悪性の腫瘍で入院した場合、 お見舞いに持ってきてもらうとよくない と言われる花があります。 たとえば「ボタン」 花がボタンと落ちるからだそうです。 また、「シクラメン」 死や苦を連想するからだとか。 それならもっと過激な花があります。 その名も 「シネラリア」 私も知らなかったのですが、 これは本当に存在する、 美しい青い花です(笑) 名前を調べなかった純朴な人から 「この花きれいだからあげる」 とお見舞いされたのが、鉢植えのシネラリアで、 いつも病室に飾ってあったら、 「死ねラリア」みたいですから、 かなり不安になるのではないでしょうか。 ▼このように、「死」は、 連想するだけで不安になり、 「死」自体となると、想像もできないほど 人間にとって恐ろしすぎるものなのです。 ▼ところが、私たちは、幸せ求めて生きているのに、 100%確実に、もっとも忌み嫌う「死」に 突撃しなければなりません。  死んだらどうなるか、 100%確実な未来がはっきりしないほどの、 不安なことはありません。 それは、目隠しをして全力疾走しているように、 いつ何にぶち当たるか分からないようなものです。 何をしても、何を手に入れても、 心から明るくなれないのは、 このように、先の見えない闇の中を走っているからだと 仏教では教えられています。 ▼この、苦しみ悩みの元を断ち切って、 「人間に生まれて良かった!」 という生命の歓喜を得ることこそが、 人生究極の目的なのです。 死をありのままに見つめることは、 いたずらに暗く沈むことではなく、 本当に明るい生き方をする、第一歩と言えるでしょう。 ぜひその身になるところまで、 仏教を続けて聞いて頂きたいと思います。 ━━━━━━━━━━━━━━ 今日のまとめ ━━━━━━━━━━━━━━ ・原発や放射能野菜、腫瘍の精密検査や  シネラリアで不安になるのは  根底に死があるから。   ・すべての人は必ず死ぬのに  その100%確実な未来がくらい。 ・確実な未来がはっきりしないほどの、不安なことはない。 ・苦しみ悩みの元は、確実な未来が  ハッキリしないから。その苦悩の根元を断ち切って  生命の歓喜を得ることが人生の目的

幸せはどこに行ってしまったのか

戦後、バブルの絶頂まで、 GDPが6倍に経済発展しても、 生活満足度は変わっていないという統計が出ています。 また、もっと便利な生活がしたいと、 科学が進歩すれば、 交通事故、その他の問題が起きてくる。 現代物理学により、原子力まで 活用できるようになりましたが、 放射能の新たな不安が起きてきます。 あなた個人の人生を見てもでもどうでしょうか? あの学校に入れれば、と思って受験勉強をする。 お金が手に入れば、と思ってアルバイトをする 恋人ができればと思って、アプローチする。 あの会社に就職できればと思って就職活動をする。 結婚すれば、子供ができれば、 色々な努力をしてきたと思います。 それで幸せになれたでしょうか? 努力が実らなければ苦しいのは勿論ですが、 たとえ努力が実って志望校に入っても、 お金が手に入っても、 今度は別の苦しみがやってくる。 これで心から幸せになったと 満足することはありません。 何十年も努力して、 少しは幸せになれたでしょうか? 「この坂を越えたなら幸せがまっている」 と信じて、苦しみにたえながら坂をのぼっていくと、 また、新しい坂が見えてくる。 死ぬまで坂の連続で 待っていると信じている幸せはありません。 生きる目標、生き甲斐などの坂を 求めて努力して、 それでがかなえられたとしても、 人間に生まれたのは、これだった という幸せになれません。 ▼これを仏教では、 「流転輪廻(るてんりんね)」 といいます。 車の輪が同じところをぐるぐる 限りなく回り続けるように、 同じ所をぐるぐる回って 際限のないことです。 生まれてから死ぬまで 苦しみが色をかえ さまをかえてやってきて なくならないのです。 これを流転輪廻といわれて、 すべての人はそうだと言われます。 ▼例えば、日本の歴史上、 成功者といわれる 家康が言った有名な言葉があります。 ---------------------------------------------------------- 人の一生は重荷を背負って遠き道をゆくがごとし ---------------------------------------------------------- 家康は、 天下を統一し、 征夷大将軍となり、 徳川幕府300年の基礎を築きました。 「人の一生は」と言っても、 この家康の一生は、という自分自身のことです。 「重荷」とは苦しみのこと。 あれほどのことをやりながら、 自分の一生は、生まれてから死ぬまで、 重荷を背負ってはてしない道をいくようだった。   苦しみを一生なくならなかった。 天下をとっても、 将軍になっても、 幕府を開いても、なくならなかった。   結局これでは、 私たち人間は苦しむ為に生まれてきた 生きていることになってしまいます。   そういう生命ならば、 生命の尊厳といっても、何の意味もありません。 結局、みんな将来に対して 何となく不安を持っているのも、 そういうところに原因の一つが あるのではないでしょうか。 自殺する人が毎年3万人を超え、 苦しかったら死んで行きます。 生きる喜びというものはありません。  

今のところの宗教感

宇宙の誕生に迫る 初版: 06.18. 2006 宇宙開闢直後の“光”を探求し続けている研究者達は、2006年3月、「インフレーション宇宙モデル」を支持する証拠を見出したと発表した。このインフレーション宇宙モデルは、ビッグバン直後の僅か100兆分の1秒、いや、更に短い時間の間に空間サイズが100兆倍を超える拡大をしたというもの。 今回の発見は、NASAの「ウィルキンソン・マイクロウェーブ・アンアイソトロピー検出衛星」(WMAP)によって、過去3年間にわたって観測されてきた宇宙マイクロ波背景放射(CMB)のデータから見出された。CMBとは、簡単に言えば、宇宙が誕生したビッグバンの残光と考えられているものである。 この放射を初めて詳しく分析したのはCOBE衛星で、89~96年にかけてのことであった。この結果、放射の強度に非等方性(いわゆる“ゆらぎ”)が確認され、それを更に詳しく調査するために作られた衛星がWMAPであり、2001年に打ち上げられたのであった。 インフレーションモデルは今から25年前、佐藤勝彦(東大)とアラン・グース(プリンストン大・当時)により独立して提唱されたもので、ホーキング(ケンブリッジ大)らが描く宇宙論の啓蒙書でも盛んに取り上げられているので、その名はよく知られている。下の図はそれを模式的に表したもので、横軸が時間軸を示し、左から右に進むにつれ現代に近づく。 インフレーションモデルの拠り所は、数学的には、アインシュタイン方程式に取り入れられた宇宙項(ラムダ・Λ)の解釈にある。この宇宙項が真空エネルギーを示し、高温から低温に移行する際に開放される潜熱が急激な膨張(=インフレーション)を引き起こすという考えであり、インフレーションの存在を仮定しないそれまでの「単純ビッグバンモデル」では説明が困難な問題点を一気に解消するものとして、一躍支持を集めたものであった。           左端の輝点が量子論的揺らぎの状態(Quantum Fluctuations)から宇宙が開闢した点。その直後「インフレーション」(Inflation)が生じ一気に拡大、約40万年経過後の宇宙から放射された光を、残光、すなわち「背景放射」として我々は見ていると考えている(Afterglow Light Pattern)。 続いて、その後「暗い時代」(Dark Ages)と呼ばれる期間を通過し、開闢4億年後に、宇宙で最初の恒星達(1st Stars = 「第一世代」の恒星)が形成されたとされる。また、時空の拡大は「ダーク・エネルギー」によって推し進められていると考えられている。 ビッグバン以降、宇宙は137億年間、膨張を続けてきた。我々はWMAP衛星(上図・右端のイラスト)で、開闢から40万年が経過した時点での宇宙を覗いているのだ。 WMAPで得られたデータは、インフレーションモデルを、競合する他のモデルから一歩抜きん出させるものであるといい、宇宙論のマイルストーンといえる。「WMAPでより長期の観測を続けることで、我々の宇宙がミクロな量子的揺らぎの状態から、いかように巨視的に拡大したのかをより詳しく知ることができるでしょう」と語るのは、WMAPミッション主席研究員のチャールズ・ベネット氏。 これまでWMAPは、“残光”の温度の変化に焦点を当ててきた。これは宇宙の正確な年齢を知る上で重要なデータを与えるものである。一方、新たな観測では、それまでのものよりも正確な温度分布を与えるのみならず、初めて、偏光に関するフルスカイマップを作成するのである。 この偏光という成分は、光がどのような物質と作用して到達したかを知るヒントを与える。別の言い方をすると、どのような環境を透過してきたかを知る手がかりとなる。 ◇ 光は「横波」と呼ばれる性質を持つ電磁波。横波とは、進行方向と垂直に振動する波動のことで、右・一番上のイラストのように、縦や横(描かれてはないが、斜めも含む)など様々な方向へ振動するものがある。通常、電球から太陽に至る、いわゆる「光源」(light sourse)は様々な方向へ振動する光を発している。 ところが、偏光板と呼ばれるフィルターの一種を用いると、特定の方向へ振動する波動だけを抽出することができ、こうして抽出された光を「偏光」という。偏光板をいわば“すだれ”のようなものと理解すると、一番上の図がわかりやすい。図では上下方向にのみ振動する光が通過し、水平方向へ振動する光はシャットアウトされている。 一般に、光は物質に当たって反射すると、振動方向が特定の向きへそろう、すなわち偏光する性質がある。釣りで用いる偏光サングラスはその応用で、水面に反射した光(=偏光)を遮り、水中からやってきた光のみを通過させる。つまり、まぶしさをシャットし、水面下の魚などの様子を見るというわけだ。(右図・中央)) この偏光という性質をうまく利用して、宇宙開闢の時の光のみを抽出しようというのがWMAPだ。右図・一番下は、ビッグバンで放射された光が電子で跳ね返され偏光した光(下記「Eモード」)を抽出し、検出する様を模式的に示したものである。 研究チームは、2種類の偏光を追い求めている。それらはやや専門的に例えるなら、電磁波の「電場」(E)成分と「磁場」(B)成分に対応していると言える。 1つは「Eモード」と呼ばれるもので、再電離(reionization)を起こした時期があったことを示唆するもので、電離水素による散乱(トムソン散乱)で生じたもの。インフレーション後、プラズマ水素は電子捕獲で中性になったが、現在の宇宙はプラズマが大部分を占める。これは再電離(再プラズマ化)があったことを強く示唆しており、それは第一世代の恒星から放射された電磁波によるのではないかと考えられている。 一方、もう1つは「Bモード」と呼ばれるもので、インフレーションの直接証拠となるもの。ただこれはプラズマ物理以外の成因(重力の寄与)が関わり、またEモードにくらべ非常に値が小さい(詳細はPhys.Rept. 429 (2006)参照・下リンク)。 WMAPはEモードの検出に成功したが、Bモードは未だ得られていない。だが、温度分布とEモードマップを組み合わせることで、インフレーションに関するいくつかの情報を引き出すことが可能という。 それらは例えば、インフレーションが生じた際のエネルギーの上限値や、インフレーションモデルが予言する時空のゆらぎの強さというようなものを支持するデータだ。(エネルギーの上限値が求まるというのは画期的。力の統一理論に対する大きな制約ともなる。) ◇ 右は、WMAPの観測から明らかにされた、宇宙を構成する物質の割合を示したもの。我々が普段目にしている物質は、実は全体の4%に過ぎず、残りの96%は正体が未だはっきりしない、いわゆる「ダーク・マター」、「ダーク・エネルギー」と呼ばれるもの。これまで観測では捉えることのできなかった褐色矮星などといった小天体や、いまだ検出されていない星間ガス雲などから、素粒子論的“超粒子”にいたるまで、様々なものがダークマターの候補に挙げられている。 一方、宇宙膨張の観測値と理論値のズレより、膨張を加速するエネルギーの存在が考えられるようになり、それが「ダーク・エネルギー」と呼ばれているもの。ダーク・エネルギーは“反重力”(=宇宙膨張の動力)を生み出す性質があると考えられているが、現段階では推測の域を出ず、その素性は謎。90年代、ダーク・マターを持ってしても宇宙全体の25%程度の物質量しか説明できないことが明らかになったため、ダーク・エネルギーが残りを補うものという考えが支持を集めている。 この数値は、「Λ-CDMモデル」と呼ばれるインフレーション宇宙モデルの妥当性を支持している。 ちなみに、欧州宇宙機構ESA)は2008年、CMBを観測する衛星「プランク」を打ち上げる予定であり、また、NASAで提案されている「Beyond Einstein inflation probe」ミッションは、Bモード偏光の検出を目指すものとなっている。 ◇ いわゆる「宇宙論」と呼ばれるものはいくつもあり、その時々に於いて“流行”というものが存在する。荒っぽい言い方をすれば、観測での実証が困難であるが故、数学的枠組みの中で様々な推測や物言いができるわけだ。だが、高精度の観測衛星の登場で、各宇宙論は今後「観測事実との比較」という洗礼を受ける時代に入りつつある。ダークマターの正体は何か?宇宙は膨張を続けるのか?終わりはあるのか?恒星や銀河の形成はいつ始まったのか?そして、最も妥当な宇宙論はどれなのか…啓蒙書を賑わせるトピックスに解答が与えられる日も、そう遠くはないのかもしれない。 いや、逆に、更なる困難を与える結果をもたらすのかも知れない…。

キリスト教 原城の魂

島原の乱 [編集] 詳細は「島原の乱」を参照 元和の一国一城令で廃城となった原城は、1637年(寛永14年)に全国の耳目を集めることとなった。世に言う「島原の乱」が勃発したのである。島原藩松倉重政・勝家父子は島原城建設による出費などの財政逼迫により苛政を敷き、また、過酷なキリシタン弾圧を行ったことにより農民一揆を引き起こした。この一揆は島原半島のみならず天草にも飛び火し、島原城富岡城が襲撃された。しかし、一揆の攻城はうまく行かず、やがて一揆の群衆は天草の一揆群衆と合流し約3万7千人が廃城となっていた原城に立て籠もった。 小西行長の家臣の子孫といわれる天草四郎を総大将とし、組織だった籠城戦を展開し幕府軍と戦闘を繰り広げた。 一揆側は3か月に及ぶ籠城には兵站の補給もなく、弾薬・兵糧が尽き果ててきた。対する幕府軍も1千人の戦死者を出しながらも新手を投入し、ついに1638年4月11日から12日(寛永15年2月27日から28日)にかけての総攻撃で一揆軍を壊滅させ、一揆軍は(幕府に内通していた一名を除いて)老人や女子供に至るまで一人残らず皆殺しにされたという。幕府軍は戦後、原城を徹底的に破壊した。その一方で、島原藩松倉勝家は苛政により乱を引き起こした責任から、大名としては前例のない罪人としての扱いである斬首に処せられた。

親鸞 よくわからない?

作者について [編集] 作者については、如信説・覚如説・唯円説がある。一般的には、唯円説を定説とする。本項も、唯円の作によるものとして記述する。 如信説については、香月院深励が提唱。論拠は、覚如がまとめたとされる『口伝抄』などの書物に、親鸞より如信に口伝が行われ、更に覚如がそれを授けられたとあることによる。 唯円説については、主に妙音院了祥が提唱。論拠は、唯円の名が作中に出ていることや、本文の流れからして東国門徒(関東の浄土真宗信者)であることによる。 沿革 [編集] 成立の背景 [編集] 本書の内容は、「善鸞事件」の後に作者が親鸞より直接聞いた話による。 善鸞事件 建長8年(1256年)5月、親鸞が実子である善鸞を勘当・破門した事件である。 事件から遡ること約20年の嘉禎2年(1236年)頃、親鸞が東国から京に帰った後の東国では、様々な異義が生じ、異端を説く者が現れ、東国門徒が動揺するようになる。その事に対し親鸞は、息子の善鸞を事態の収拾に送った。 しかし善鸞は、異端を説く者を説得しようと試みるも応じなかったため、私は親鸞より真に往生する道を伝授されたと称し、第十八願は「しぼめる花」であるとし、自らの教えが正しいと説いた。 善鸞が異端を説いていることを知った親鸞は、秘事を伝授した事はないと東国門徒に伝え、善鸞に義絶状を送り、親子の縁を切り破門した。 その後、関東から上洛して親鸞に事を質したのが、唯円を含めた一行であった。 親鸞の死後も、法然から親鸞へと伝えられた真宗の教え(専修念仏)とは、異なる教義を説く者が後を絶たなかった。唯円は、それらの異義は親鸞の教えを無視したものであると嘆き、文をしたためたのである。 これに、唯円が覚如親鸞の教えを教授したこと、『口伝抄』に『歎異抄』と類似した文が含まれることなどから、本書は覚如の要請によって書かれたのではないか、とされている。 編集された時期については、親鸞が死してより30年の後(鎌倉時代後期、西暦1300年前後)と考えられている。 再発見 [編集] 本書は、成立から数世紀の間ほとんど知られて来なかった。しかし江戸時代中期になって、荻生徂徠本居宣長などの影響により再発見された。その後、香月院深励や妙音院了祥などの学僧によって研究が進められ、深励の『歎異鈔講林記』・了祥の『歎異鈔聞記』などの注釈書が書かれた。 明治時代になり、清澤満之らによって再評価され、世間に周知されるようになる。 構成 [編集] この短い書は以下のような構成からなる。 真名序 第一条から第十条まで - 親鸞の言葉 別序 - 第十一条以降の序文 第十一条から第十八条まで - 唯円の異義批判 後序 流罪にまつわる記録 十条において、親鸞の言葉は唯円による歎異の論拠へと進化している。 真名序 [編集] 真名序は、この文が書かれることになった目的・由来が書かれている。すなわち、「先師の口伝の真信に異なることを歎」くのである。 そもそも関東の教団は、善鸞の事件もあり、異義が発生しやすい土壌であった。親鸞の入滅によりますますその動きが加速した。主な異義としては以下があった。 どんな悪を犯しても助ける弥陀の本願だからと、少しも悪を恐れない者は、往生できないとする異義。 経典を学ばない者は弥陀の浄土へ往生できないとする異義。 そこで、親鸞が唯円に語った言葉を副え、なぜそれが異義であるかを説明するのが本書であるとする。 また、この「先師ノ口傳」の「先師」を親鸞ではなく法然と捉える説もある。そこでは嘆きの主体は唯円ではなく、親鸞となる。

宗教 はじめまして

たとえば ・自分が何者か分かりません。  どうすれば幸せを感じて 楽に生きていけるのですか?   ・楽しいと思っていた時間はあっという間でまた悲しいとか  つまらないとかそういう時間になっていく。 ・他人から見たら羨まれる環境にいるはずなのに、  この環境に満足できない。 ・自分の進むべき道が見つからない。やる気もおきない。   ・過去を振り返ってもなにもしていない自分がある。  未来を見てもなにも楽しいことなんかないように思える。  生きていることが、無駄ではないか?  死ぬまで苦しんで生きねばならないのか?   ・死とは何を意味するものか、 といったことです。 これらのことが、全く気にならない そんなこと生まれてこの方気にしたことがないという方は、 さすがにいないのではないでしょうか。   私もそうでした。 一体何のために頑張って勉強して、 働いて、生きて行かねばならないのか、 どこまで行けば、これで幸せになったと言えるのか 果てしがないのです。 しかもドイツのことわざにも、 「正しい道でなければ走ったところで仕方がない」 というものがあります。 ですから大切なのは、 進むべき方角とか、目的地を なるべく早く知ることです。 そのためには一体何が必要でしょうか? もちろん、本当の生きる意味を知る 正しい努力が必要でしょう。 そして、本当に分かっていて、質問にアドバイスを くれるような人が、人によっては必要かも知れません。 いずれにしても、 最期に、意味のない人生だったと後悔しないためには、 本当の生きる意味を知ることが 必要不可欠だということです。   この本当の生きる意味が、 何と2600年前から、解き明かされているのです。